商店街の打開策。花巻市土沢商店街と帯広電信通り商店街の脱シャッター街戦略

      2016/06/30

もはや商店街は必要とされていないのか?
車社会と郊外店、コンビニの増加、ネット購買などの消費者行動の変化。少子高齢化・過疎化の進展による商店街の衰退・シャッター街化などを根拠に「もはや商店街は時代遅れ。自己変革をせず、時代に取り残されたあげく既得権を主張する…」そんな意見の方が最近ではむしろ主流ではないでしょうか。多くの商店街に展望が見えなくなっています。そして商店街が消滅してしまった地域の場合はもはや商店街問題は買い物難民問題や人口流出、地域産業の衰退問題に形を変えてしまっていて商店街問題は終わった問題になってしまっているケースもあります。

一方、商店街活性化を成し遂げた事例などを見ると、実は、多いのは都心部の事例。商圏にかなりの人口密度があって、商店街の魅力を改善しさえすればコンビニや百貨店などを利用していたお客さんを取り戻し、売上げも戻ってきたというケースです。あるいは地域にあった商業や文化、風情、街並みなどを復活させて地域住民というより観光客を呼び寄せるケースも。

しかし、全体を見ると商店街が消滅した地域もたくさんあります。商店街の中央に空き店舗を使ってアンテナショップを建てたり、行政がテコ入れして中核のビルを作ったり、モニュメントを設置したり、アーケードを改装したりしてみたもののなかなか成果が出てこないケースも目立ちます。もはや商店街は地域に必要とされていないのか。活路は見いだせないのか。そんな疑問をもとにいくつかの事例を探ってみました。

●限界集落におしかける「おしかけ商店街」
岩手県花巻市の土沢商店街で話を伺いました。この商店街は平成18年までは旧東和町の役場が近くにあったのですが、合併で役場が支所になり役場職員が減り、平成21年には市営バスが廃止になるなど、商店街を利用する人がどんどん減り、10年間で商店の数も3割近く減ってしまった商店街でした。市町村合併で、町の中心ではなくなり、役場職員は減り、地域住民も新しい中心地に引っ越す人も増えます。買い物もそちらに行くようになるわけです。でも商店街は引っ越せません。商店街が取り残されたのです。

危機感を強めた商店街は40代の若手経営者らが集まって平成17年に商店街で美術品を展示する「まちかど美術館」で大きな集客に成功します。これが転機でした。年配の商店主たちが若手の活動を見て主導権を若者に預け、若者たちも自信と主体性を持ったのです。平成19年には商店街の中心部に長屋を建設。高齢者住宅やサロン、地元のお母さんたちの起業を促してお総菜屋さんも始まりました。
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これで地元の高齢者たちが商店街に少し戻りました。平成21年には、商店主たちが農村地区の廃校などに、さまざまな商品を持ち込んで臨時商店街のようなイベントを行う「おしかけ商店街」を始めました。今までのように商店街で客が来るのを待つ、のではなく、限界集落に自らおしかけて、今では買い物になかなかこれなくなった昔からの常連さんたちに会いに行く作戦です。買い物を楽しんでくれるお客さん、これを機会に欲しかった商品を商店主に相談するお客さんもいます。
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この商店街は次に農業者と連携して6次産業化にも挑戦しているそうです。昔は、地域の農家さんたちが自分たちで育てた野菜を商店街の商店に持ち込んで、商店は野菜で売ったり、漬物などに加工したり、商売人の知恵と努力で地場産野菜を売ってきたのです。それがいつしか農家は流通業者に持ち込むようになり、地域の個人商店とは関係のないところで商品が加工され消費者に届く時代になりました。でも地元の商店主は、昔はその地域の食材をどう美味しく商品化し、客に買わせるかを熟知したプロだったはずです。農業者と商店主がタッグを組んで地産地消を実現させる。買い物難民が増える限界集落に商品を届ける。そんな役割を商店街が担えるのではないか。そんな挑戦が始まっているのです。

もう一つご紹介したい商店街があります。商店街と障がい者のコラボが凄い成果を生み出しています。

●障がい者と共生する商店街
郊外に大型店が多数進出し、また住民も郊外の新興住宅地に流れていく。大型店の価格・品揃えに負け生鮮食品や薬局の店などもどんどん廃業し、商店街から主要な店が消えた結果、商店街の衰退が加速していく。帯広電信通り商店街も全国の商店街と同じような衰退の道を歩んでいました。

打開の1歩を踏み出したのは平成20年から。障がい者施設などに声をかけ、今まで障がい者が製造した花の苗やパン、加工食品などを販売する店舗を商店街の空き店舗を使って営業しないかと提案したのです。障がい者が製造したクッキーを販売するお店、聴覚障害者がシェフを務める食堂、障がい者が地域の特産品の良さを説明し販売したり、高齢者の買い物代行をするアンテナショップ、ゴボウ茶を製造販売するお店、障がいを持つ人や高齢者を対象とする音楽教室、さらには福祉事業所が、悩みを持つ人の相談を行う傾聴所をオープンさせたのです。こうして空き店舗は全て解消。さらに店舗の2階などに障がい者が住む賃貸住宅を作ったり、障がい者の家族が商店街で買い物をするようになったりと、商店街と障がい者、その家族が結束してお互いを支える関係ができたのです。
帯広 でんしんとべんぞう
自分たちが製造した商品を売る機会を増やしたかった障がい者施設は商店街に出店でき販売機会を拡大できました。商店街の空き店舗を減らし、地域と密着して利用者を取り戻したかった商店街は地域の障がい者やその家族、支援者たちによる就労、居住、購買のパワーを得ることができました。引きこもりなど子どもの悩みを抱えるお母さんが商店街に来た時にふと傾聴所に立ち寄って、悩み相談をする中で、子どもがゴボウ茶の原料であるゴボウを作る農場で働きはじめるなど、当初は想定していない効果も出てきました。なによりも、衰退が続く商店街は再び地域社会の中で必要とされる存在に返り咲いた点がすごく大きいのでは無いでしょうか。

まだまだ特筆すべき商店街があります。
ですがちょっとまた長くなってしまいました。
今回はこんなところで終わりにさせていただきます。

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