「司法書士試験」をおすすめしない理由

      2021/03/13

もし、今から「司法書士試験」にチャレンジしようという大学生がいたら、私は、その人に向けて、ある程度事情を聞いた上で、90%の確率で「やめとけ」というと思います。

同じくより難易度の高い司法試験に挑戦したい人にも「やめとけ」というと思います。せっかくやる気にあふれている意欲ある若者であっても、無慈悲にそう言うと思います。

それは司法書士の合格率が3%と低いから、あるいは合格後も稼ぐのはそう簡単ではないから、といった事情ではありません。今からその理由をお伝えします。

そもそも、あなたがなぜ、司法書士試験、あるいは司法試験に挑戦したいと思ったか。が重大だと思います。人によって理由は違うと思いますが、私が司法書士試験、司法試験の受験に際して、要注意だと思うのは以下のような人です。

もしあなたが、社会人経験のない大学生、高校生、専門学校生で、あるいは、就職して数年で会社を辞めたい、辞めたばかりの人で、

1 今の自分には定かなものがないから定かなものを手に入れたい。

2 自分は営業とか対人関係スキルは苦手。専門スキルがあれば自信が持てるはず。

3 会社員になったって路頭に迷うかもしれない。食いっぱぐれない立場になりたい。

4 世の中には誇りを持てる定かな仕事は少ない。存在価値のある人間になりたい。

5 自分はお客さんと価格交渉などができる気がしない。定価のある仕事がいい。

といった事情で司法書士試験、司法試験にチャレンジしようとしている場合です。

なぜなら、それは以前の私であり、司法書士試験、司法試験に挑戦しリタイヤした苦い思い出があるからです。以下の話は挫折の話でもありますが、全く別の打開策に辿り着く話でもありますので、もしよければ一読お願いします。

私は高校生の頃、なぜ大学進学をするのか、どの学部を選ぶのか、真剣に考えた時期がありました。高校2年生の頃で、憧れる職業、目指したい将来などは具体的なものが全くありませんでした。

理系ではないので経済学部、文学部、人文学部、教育学部と比較検討すると、経済学部や人文学部ってなんの勉強をして何の仕事にたどりつくのかピンときませんでした。教育学部や外国語学部は、その道の人限定の選択肢であり、私には関係がないように思えました。残ったのは法学部。法学部に入ったら最高峰は法律家への道であり、一般企業に就職するんなら経済学部などの方がよさそうにも感じました。

で法学部に入ったら、法律家の道を歩む、というのが高校生の私には魅力的に感じましたし、わかりやすくもあった。

ただそれは、司法書士という仕事に専門性、収入の確かさ、存在価値や誇り高い仕事ではないかなという、わかりやすい魅力を感じたからです。

さらにいえば「難しそう」「合格できれば立派な人になれそう」というのが挑戦心を掻き立てた、そしてさらにいえば「会ったこともない職種の人だったので勝手に良いイメージを連想できた」ということもあったと思います。もう一つは唯一、国語が得意だったので、法律関係の教科書が、割と読解できそうな、対応できそうな予感もあったというのもあります。

大学の法学部に入ると早速、大学の授業では司法書士や司法試験に役立つような内容の授業はほとんどなく、そして同級生の中にも司法試験や司法書士試験を目指そうなどという人はほとんどいない(数名はいた)ということがわかり、これじゃダメだと考え

LEC(東京リーガルマインド)の15か月合格講座、費用50万円くらいの講座を、両親に頼み込んで、いわゆるダブルスクールで通い始めました。大学に通い、その後は週に2回くらいLECに行く。LECのない日はバイトをするという毎日になりました。

このころ私は、毎日4時間は司法書士の勉強をしていました。つまり民法、商法、不動産登記法、商業登記法などの教科書を読み、講座を受け、問題を解き、書式などをやって・・・という日々でした。

6時間、8時間、10時間の勉強をする日もありましたが、2時間くらいしかしない日もあったので平均4時間。大学3年で、同級生たちも就職や公務員試験などに勤しみだしてからは、私も勉強時間を増やし、何とか学生中に、それがダメでも卒業1年目くらいには司法書士試験に合格したいと思い頑張っていました。

家、大学の図書館、通学中の地下鉄の中、LECの自習室などで勉強しました。大学の授業中、出席さえしていれば単位がとれそうな科目の授業中も勉強していました。たぶん大学やバイト、音楽、映画鑑賞なども息抜きにしていました。

結局、この3年間、1日平均4時間程度の勉強は、勉強の絶対量が足りないので身に着いた部分があっても、その分忘れていく部分もあったし、何よりも、問題を解くという実践的なことよりも、教科書を読み続けるという勉強スタイルに長い時間をかけていて、完全に理解した、覚えたかどうかは別にして何週もぐるぐる読み続ける、というスタイルで、それも敗因だったと思います。LECの教科書だけじゃなく伊藤塾など、いくつかの教科書を利用してみたり、勉強そのものというより勉強法自体に興味を持っていた時期もありました。

模試で合格推定点は一度も取れなかったし、合格に近いところにいないという感覚があって、試験2か月前とかでもおいこめば何とかなるなどという感じにはなりませんでした。

で結局、大学4年でも合格できず、卒業式を迎え、卒業1年目の試験も不合格になり、ただの無職になったと実感したとき、孤独と不安に襲われ、唐突に就職情報誌を購入し、札幌市内の新聞社の中途採用に応募し採用され、社会人生活をスタートしました。

就職した当初は、まだ受験勉強も受験もしていました。サラリーマンをしながらでも合格した人の話なども聴いていましたし。でも徐々に、給料をもらい、取材、原稿を書き、少しずつですが、記者として飯が食えるかもと思い始め、受験勉強に費やす時間は少しずつ減っていきました。

で5年目。会社の将来性に疑問を感じ退職し、今度は司法試験に挑戦したんです。

たぶん民法、商法など司法書士試験と共通する部分もあるし、憲法などもやってみたかったのもあったと思います。なによりも司法書士試験の書式などが苦手で、再挑戦はちょっと嫌でしたし、司法試験は最高峰という感じもして再挑戦に対しては沸き立つものもあったんです。一度挫折した資格試験に思い残す部分もあったのか、それともサラリーマン人生からちょっと逃げたかったのかもしれません。

でも司法試験の受験生活も2年でリタイヤ。20代半ばでの先の見えない受験生活、収入が途絶えた件、なかなか模試でも結果が出ず。編集プロダクションに再就職しました。20代後半での無職はなかなかつらいものがあり、ちょっとバイトを始めたら、もう働きたいって、正社員にもなりたい、自分は記者や編集の仕事もできるのだから社会に戻りたいと思ったんです。

でその会社で取材、記事書きだけでなく、冊子、広告などの制作物の担当者、さらにはディレクション、たまには営業もやって自信を付けました。あまりにブラックな会社だったから6年目に転職しましたが、3社目では取材編集営業、ディレクションまでこなせるようになりました。もはや資格試験のことなどすっかり頭から消えました。

つまり、自分にとって、社会で通用する自分になるための手段として考えていた資格試験は、実際には、それがなくても社会で通用したから必要がなくなったんです。

しかも法律家の仕事は実際やったことがないから分かりませんが、取材、編集の仕事が面白いというのは、やってみてジワジワ感じるようになりました。

要するに私が言いたいのは、社会に出るときに立派な装備(資格や学歴)を持って出発したい、と思うのは単なるビビリであり、社会に出たら、ある程度は実践の中で鍛えられ、出来ることも見つかり、どんな職種にも共通する段取りや報連相、マナーなども見につくので、それをもとにやりたい仕事にもたどり着けるということ。

必要な資格もとれたりもするし、資格や学歴というのは社会人にとっては、看護師や薬剤師とかならともかく、90%以上の人にとっては必須でもなく、なおかつ資格よりも、職能、人柄、トークやwebなどのスキル、人脈や信用などの方が重要だということです。

社会に出る前準備で、司法試験や司法書士試験という壁に挑戦するのは、デカ過ぎる壁に向かっている感じだと思います。実社会はそんな武器がなくてもやっていける世界です。

世の中にある仕事の半分以上は就職してから、先輩や取引先などがノウハウを教えてくれるので、熱意さえあれば給料をもらいながら自分を育てることができます。

合格しないと(高い壁を乗り越えないと)始まらない司法書士や司法試験と違って、第1歩目のハードルが低いのです。

私の身近にいる営業マン、事務職、ライター、WEBデザイナーなども働きながら、数年も経てば社内、取引先から必要とされる人材になっています。

適性や意欲などがあれば、知識・経験もついてくるので、十分に職能といえるものが育ちます。

なお、司法書士や司法試験に挑戦すべき人もいるとは思います。親の跡を継ぐ人や、法律家にならなければならない事情がある人。一流大学に楽々合格し、受験というものに尋常じゃないほどの才能がある人です。

そうじゃない99%の人はもっと簡単な資格でもとり、どこかに就職し、実践で鍛え、そこからステップアップすべきだと思います。もし司法書士試験に合格しても、それで稼げない、やり甲斐を感じなかったらどうするつもりだったのか、資格試験に燃えていた20歳の私にもし会えたら聞いてみたいです。

 - ライター・編集・ブロガー, 小ネタ