「文章苦手病」と「話すの苦手病」について

   

私は文章を書くのを苦にしません。むしろ楽しい。
この投稿も誰にも頼まれていないのに異常に長く書いています。
そこに公私の区別もほとんどありません。

ちなみにこの話は、最終的に「話せるのに書けない人」「書けるのに話せない人」問題、そしてネタづくり問題に行き着きます。

私の場合、ネタを思いついたらすぐ書き始めて数時間経過。事実や数字の裏付けをとったり、詳しい人に聞いたり、筋書きの順序を変えたり、理屈っぽく書いたり、エピソード的に書いてみたり、品良く書いたり、興奮しながら感情ガンガン入れて書いたり、書き出しは読者にとってわかりやすい1点から書くとか、ビジュアル重視にして核心は後に書くとか、ノウハウ整理を箇条書きするとか、いろんな書き方の選択肢が沸いてきます。半日で1万字書いて3000字に削ってから公開、とかそんな効率の悪い試行錯誤もむしろ楽しいこともあります。しかも書き終わったら飽きずに次のネタを考えたりしています。

ところが文章ではなく、話す局面になると、これがダメ。特に大人数を前にして話したりすると、余裕がなくなり、人を笑わせたり空気を読んだりとかができません。そんなタイプの私は、講師をするとき、営業するとき、常にパワポや資料などに頼ります。正確に言うなら、話の台本は創れるので、予め考えたことなどを自分のターンにじゃんじゃん喋る、聞く時間は取材っぽく詳しく聞く、そして一緒に考える、みたいなことならできます。

一方、私とは違って、手元に準備したものが何もなくても、観衆を前に上手に場を仕切って話せる人もいます。営業やカウンセリングなどを本業にしている人で面白い話をガンガン出来る人もいます。私から見ると、人前で臆さない人、準備をせずとも、たとえ相手にマッチした鉄板ネタを持っていなくても、講演や営業などの場で、対話そのものをクリエイトしている感じの人たちがいるのです。

そういう才能なのか経験なのか、何なのかわからないのですが、そういう「トークをその場で上手に造っていける人」は私から見ると異星人なんです。憧れます。周囲に何人かいます。

両方こなせる人は少ない。あんなに臨機応変に感じよく楽しく喋れるのに、文章はなぜか堅苦しく、普段とは違う書き方になり、しかもなかなか進まない。そういう「文章苦手病」の人はたいてい、1つのパターンでしか書けません。書き方のパターンがないのです。単に訓練、場数を踏んでいないようにも見えます。話も面白いしネタもあるんだからそのまま書けば良いじゃんと思うのですがそれができないみたいです。

一方、お手紙とか、ブログとか、メールとかでは用件ばっちり伝えられて、ロジックもちゃんとしていて、文面からはなかなかの迫力をカマしている方が、実際面談してみると、借りてきた猫のように大人しい、肝心のことを言わない、会話が途切れ途切れで全く深まらない、そもそも喋らないというパターン。結構あります。また、こちらが話したことも果たして受け止めてくれているのか怪しい人もいます。「話すの苦手病」にかかっています。

「文章苦手病」の人は、ブログや自社サイトの制作局面などでかなり苦しみます。いっそブログやサイトをつくるのではなくyoutube動画チャンネル造った方が良いかもしれませんし、誰かライターに自分を取材してもらって、それを発信した方がいいかもしれません。その人の主戦場は書くことではないんだろうと思います。

「話すの苦手病」の人は、肝心なことは直接会って話すべきなのにそこでの意思疎通が下手だったり、会話の印象が悪いので、相手に誤解されたりして目的を達成できなかったりします。会話は、口調、身振り手振り、表情、間、その場の雰囲気、気分など、圧倒的に情報量が多く、また、相手に親近感を与える上で文章にはない利点がたくさんあります。なので文章上手でも話せない人、の方が世渡りが難しいのではないかと思います。私のように、営業の時はツール、講演の時はパワポに頼ったりして、後は場数を踏むなどの対策をとるか、対人関係の少ない生き方をするしかなくなります。

どちらかの病に掛かっていたとしても、何か好きなことがある、没頭していることがある、執念を燃やしている、ことがあるなら救いはあると思います。それを口か手を使って伝えれば何かは伝わるし、分かってくれる人もきっといるから。何にも興味ないし、何の努力も知識も、意見も挫折体験もないと、そりゃ話すことも書くことも何もなくなりますから・・・。
人生にまきおこる全てのことが「話す」か、「書く」かのネタになると思います。ということで皆さん。今日もネタ、考えましょう

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