価値判断の速い中高年 ・・・でもそれでいいのか?

      2017/08/08

私は誰かに何か言われたり、見たりするなど、何かに出会った瞬間、まず直感的に「それは良い」「それは間違っている」「それは楽しい」「それは気分が悪い」「そのネタには私も関わりたい」など、それはもうびっくりするほど瞬間的に、価値判断をしています。

それは「直感」かと思えるほどの速さです。しかし実は大抵のことは直感ではなく、私が子どもの頃に読んだ本や、友人や親に教わったこと、自分の性格、そして社会人になってから自分で何事かを判断して、行動して、その結果失敗したり成功したりを何度も繰り返しているうちに、自分なりに価値判断の蓄積のようなもの、さらには自分にとって好ましいかどうかという損得勘定もあって、それらを元に、今出会った何事かを前に、まるで将棋のように、数手先を読んでジャッジしているふりをしつつ、結構、頭の中は丁寧な検証をショートカットして、結論をざっと導き出しているのではないかと思います。

その結果、ほとんど反射のように、ろくに考えずに結論を早く出し、自信満々に振る舞えます。そんなに自信満々になれるほど勉強したか?そんなに断言できるほどの実績を重ねてきたか?そんなにオレは物事の真理や善悪がわかるほどの修行を積んだか?は別として、かなり堂々としているわけです。

振り返ると、若い頃は自分が判断した回数、出た結果がどうだったかを身を以て知った回数などが少ないから、判断そのものに自信がないから、判断も遅いし、大間違いの判断もしがちになるし、親や先生など誰かの結論がないと自分では結論も出しにくい面もある。

ところが中高年になると、同じ場所・似た状況・似た内容にこれまで何度も直面していて、それを今回のことにもあてはめることができるので、良い意味では「決断が早い」と周囲に思われる一方、「本当に考えたのか?」「決めつけがひどい」と周囲に思わせてしまうほど判断が速くなってくるわけです。

価そうやって堂々と生きているのが中高年なんじゃないかと私は思っています。とにかく堂々としているし実績もある。何事についても断言する中高年がたくさんいます。

「中高年」とはつまり、ほぼ新たに考え出す必要がない状態のことを指すのではないか。そして価値判断の根拠やそう思うに至った経緯を自分や相手と共有したり確認したりする必要もなく通してしまうのが中高年なんじゃないか。と私は思っています。あるいは何も判断しないで世の中を渡っていくタイプもいますが・・・。

facebook上でも会議の場でも、何かの出来事を前に、自分がなぜそれを「良いことだ」「間違っている」「それは美しい」といった価値判断をしたのか、考えの経緯や、他の考えの可能性について悩んだいきさつなどを丁寧に説明している人はほとんどいません。

それは、少年時代のように、一から考えてもいないし、自分の社会的立場などに基づいて、他の考えが入り混む余地がなかったりもするので、そんなこんなで結論だけ言い放ちたくなるのではないか。

でもそれでは、違う生き方をしてきた、違う価値判断の蓄積がある自分以外の人に、心底分かって貰えるかはかなり疑わしいと思います。また、自分が今辿り付いたその場所。果たして正解なのか、結構疑わしいのではないかと思います。なぜ、いろいろな経験をして学んだという場数の多さだけで、自分の正当性をそこまで確信できるというのか・・・。

余談ですが、シニア男性が、自分が経験したことのない新たな分野に挑戦するときの目の輝きは凄いものがあります。
アレは凄い。きっとものすごく楽しいんだと思います。
終身雇用で働いた男性は、もう価値判断の蓄積まみれになった分野でほぼ考え尽くしたことを今更再確認しても何の新鮮みもなく、
自分の立場からは言えないこと、できないこともたくさんある。がんじがらめなわけです。
でも世の中には自分が経験したことがないことが山ほどある。
初心に戻れるというか、冒険を一からしているような、一気に若返るような雰囲気です。
だから男は移住したくなるんだろうなと思います。

この話の結論は、

少なくとも私は、今後出会うことに対し、あっけなく判断する前に、
そもそも他に価値判断と選択肢がないか、もうちょっとちゃんと考えたい。
そして自分の価値判断はあくまで自分の価値判断に過ぎないので、
根拠をちゃんと説明する、その上で周囲が納得していないなら無理に押しつけない。
そして凝り固まった自分を少し解放したい、ということです。

 - 小ネタ, ライター・編集・ブロガー