ライター・編集者に迫る危機。「カネ」にまつわる大問題

   

●2次下請けの悲哀を実体験
ずーっと、ずーっと昔、ある意味そのことを覚えている人はもうほとんど居ないほど昔のことですが、私はある会社が受託した制作物をほぼ丸投げで編集する2次下請けの仕事をしていた時期がありました。
当時の上司が受託を決め、私が担当。割と面白い仕事でした。

それから長い年月が経過・・・。先日、偶然、その制作物を一次下請け会社がいくらで受託していたのかを知ってしまいました。思っていた金額、当時の上司と飲みながら予想しあっていた金額の2倍以上でした。

ほぼ完全に丸投げの仕事で、汗水垂らして企画し取材し原稿を書いた私は、わずかな分け前しか貰えていなかったということを知りました。
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振り返って今。私は、自分が担当する仕事を社外の方の力を借りて制作することがあります。ですが丸投げで済むような仕事はなく、責任を負うだけじゃなく実作業もかなり自分でも時間を費やす面があります。

何よりも金の面が違います。まずその仕事をいくらで受託するかも、昔の私と違って真剣に考えます。自分の人件費や力を貸して頂ける方の取り分と、会社の売上げと収益もしっかりとれるようでなければ、自分にも周囲にもしわ寄せがいくので受注できないわけです。

協力してくれる方の稼ぎも当然考える上に、当社や私の稼ぎも考え、競合他社との受注競争で、価格だけが原因で受注を逃すようなことも避けることを真剣に考え、同時に、たとえその仕事が意義深く、やってみたい案件でも、自分の首を絞める安値受注はしないという覚悟を持つようになりました。そもそも請負仕事を安易に狙いに行かないということも含め。

今回の件で、当時の私は、元請けがしっかり稼げて下請けが疲弊する構造の中で、それとは知らずに働いていたんだなと気づいて、見聞きしていた社会の世知辛さを、身を以て実感しました。

世間の「稼いでいる」会社の中には、重層下請け構造の上位に位置することに長けていて、自分はさほど働かず、下請けを搾取して利ざやを稼ぐ人たちがいて。仕事をgetしたヤツが一番偉い的な意味も含めて。

それができる組織の人間はある意味優秀であり、ある意味では凄く感心します。ただし、その構造の元では、いくら誠実に働いたとしても、周囲の人間はまともな報酬は得られないわけです。

私は、こんな甘ったれた理想論を言ってないで、もっと「稼ぐ大切さ」に貪欲にならないとならない。ですが、自分だけ潤い、お世話になっている周囲が疲弊するようなことも避けたい。

その兼ね合いはなかなか難しいけど、要するに、仕事の対価は正当に頂く面で妥協は極力しない。その上で自分も分配できる側になる、そんな人間になりたいと、そしてもし下請けに入る時には、価格交渉は、しっかりするべきだ、と改めて思う次第。

なお、今回は触れませんでしたが、どのような水準の制作物なのか、それに見合うものを納品するために、努力以外に、どれだけの人、カネが必要なのかの積算を見誤ると、エラいことになります。良い物を納品するには、それ相応の手間と時間がかかるので無理がたたって破綻します。

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