ライター→編集者→ディレクター→営業→マネジメントへの道?

      2025/02/09

このブログの著者、栗原は、昭和47年生まれ。札幌で生まれ、浦河の夢の国幼稚園卒、旭川、北見、札幌と小中学校で転校を繰り返し、以来、高校大学社会人とずっと札幌です。北海道のあちこちで暮らし(特に寒いエリア中心)、利便性が良い札幌に居座った感じです。今回は職歴的なことを書きます。

20代 自社の紙媒体の記者

20代のメインは、建設系の業界紙記者でした。いろんな企業や現場に取材に行きました。上司からは取材と原稿作成の基礎を教わり、自分でも取材・記事制作・撮影の基本的なことをある程度身につけました。学生気分を脱し若干の社会性も習得。

全くもって未熟でしたし、大半は教わったこと、指示されたことをやる、という程度の仕事でした。しかし今、記者・編集者として仕事を続けられているのはその会社で教わったことが基礎にあります。5年ほどお世話になりました。もう存在しない会社です。

退職後、資格試験の勉強をしたり、バイト生活も経験しました。先が見えない不安との闘いでもありました。耐えきれず再就職!

30代前半~ 編集プロダクション勤務

30代のメインは、編集プロダクション勤務でした。一番関わったのは大手企業の内報紙でした。数千人もいるパートさんや社員が、仕事に対する意欲や技術を高められるように、優秀な仕事ぶりのパートさんに取材させてもらったり、課題の乗り越え方などを毎月取材しました。

毎号の台割制作、取材撮影、記事化、校正、印刷し発行を毎月16頁、5年近く継続しました。媒体編集の責任担当としての経験はディレクション力となりその後も活きています。

他にも複数の媒体を立ち上げ、編集責任者を担当できました。食や農に関する様々な取材も経験できました。

商品の販促用の新聞広告制作なども経験しました。いろいろ経験できましたがなかなかブラックだったので5年で退職しました。

30代後半~ 北海道住宅新聞社編集部勤務

36歳で住宅業界の専門紙に転職。2年ほどは会社がやっているルーティン業務を軸に働きました。前職よりずっと楽で驚きました。定時退社に驚いていました。しかし自分の成長、会社の成長の両面で物足りない時期でした。

30代後半~ 札幌良い住宅jpの運営

いろんな企画案を編集長に出した覚えがあります。ある意味もがきました。経験は無かったのに、住宅会社のweb制作に手を出し、webなら地名度の低い、でも優秀な工務店を私の原稿、写真、企画力を活かして宣伝できるのではと考えました。転機となったのは【札幌良い住宅jp】の立ち上げです。

会社的にも雑誌を廃刊しwebにシフトする冒険でしたが、明らかに成功しました。良い家を建てたい人に有用な情報を提供でき、実力があるのに地名度は住宅会社を世に発信できました。

30代後半~ 自治体政策情報紙の編集

コンペに参加し、大口の仕事を獲得、自治体職員向けの政策情報紙の編集責任者になりました。同じ年に結婚も。台割・アポ・取材・撮影・記事・校正、そしてそれら全般のディレクションを統括し、しかも大半の業務を自分一人で約8年担当しました。会社+社会への貢献、自分の職能と将来への不安払拭、さらには編集者・記者としてそろそろ定かなものを手にしたかったんです。

テーマは町内会・道の駅・商店街・健康・スポーツ・高齢化・移住・農業・漁業・広報・防災・地域医療・食育・動画・雇用・住宅など多岐にわたります。平成21年から28年までの取材先をプロットしてみるとこんな感じです。

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自分で望んだとはいえ激務でした。朝早く出社し、24時過ぎても帰宅できない。子どもの顔も寝顔しか・・・。睡眠不足も。とはいえ8年継続しました。

40代前半~脱受託&紙媒体仕事

紙媒体は、媒体にも寄りますがコスト、〆切、紙幅との闘いを常に強いられます。そこにやりがいや、媒体としてのすごみを見いだすことも可能ですが、定期刊行物は発行し続けることが目的化しやすく、思い切った挑戦が難しい面もあります。読者の反響は直では届かず、前号よりも上を目指すのが目的化しました。そこで8年で思い切って卒業させていただきました。

思えば高校3年の時、大学受験用に、国語の先生が放課後に添削をしてくれて、国語の成績が急上昇し、全国模試で国語で国内10番台の順位になったりしたことが、私をこの道に歩ませているのかもしれません。国語の先生に助けられた気はします。

40代中盤~自社媒体&webへのシフト

前述の札幌良い住宅jpは正真正銘の自社媒体。しかも私が上司と相談しながら立ち上げた媒体でした。大いに手応えがありましたが、紙媒体の仕事が忙しく、育てきることができていませんでした。

そこで、全道版への拡大を目指し、北海道の住宅会社探しウェブマガジン「iezoom」(いえズーム)を2018年春に公開しました。
企業サイトの制作も本腰を入れ1年で10サイト以上を立ち上げました。

40代後半から52歳まで

2009年以降、自社ポータルサイトや住宅会社サイトの制作、運営を行っていましたが、社外の方々との連携が多く、社内的には主に一人でやっていました。いえズームを立ち上げ、徐々にライターやカメラマンと連携し始め、以降、社員が一人加わり、パートのスタッフが加わり、編集社員がさらに加わり、という感じになって、Instagram、YouTube制作、運用なども手探りで進めてきました。サイトの表示回数も、売上も取引先も随分増え、取材先で「いえズームを見て住宅会社を選んだんですよ」とか「住宅会社のホームページのあの部分を読んで、この会社がいいなと思ったんです」という話を聞かせていただく機会も増え、私の取材・編集力とwebのディレクション力が、誰かのお役に立って、なおかつ私の生計も立つという、ある意味、手応えを感じる時期でした。

52歳以降はどうなる?

ここから先はどうすべきでしょうか?正直わかりません。一つの会社に17年も在籍したのも初めてです。

前述のように、記者・ライター・編集者・ディレクター、そして最近は社内の不足を補うために営業メインになりましたが、編集や現場がわかる営業は、生粋の営業とは違う方法で売り上げを伸ばせるとわかり、営業が面白くなってきました。このように役割は少しずつ変わってきましたが、ほぼ現場です。

52歳ともなるとベテラン感も出てきてしまうし、会社からは管理職的役割も求められます。

仕事人生の中で初めてです。ここ2年くらい、自分の職業人としてのゴールは何だろうかと考え始めました。正直50歳くらいまでは必死でした。会社の中で、外で、役に立つ人間でなければ存在価値がないという思いは強かったと思います。また家族を養うという点も大きかったと思います。

65~70歳まで働く時代になり、あと10年なのか15年なのかも定かではありません。サラリーマンである以上好き勝手もできません。さて・・・どうするのか、どうなるのか・・・。何か進展があれば、ここに書くつもりです。

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