「就活」「転職」の打開策&体験談

   

就活・仕事さがし・資格試験・就職浪人について経験談を書きます。

私個人の体験に基づく考えなので、今見て頂いている方の事情、気分、方向性に合わない内容かもしれません。でも、ある意味で就職は一生を左右することであり、体験してみないとわからないことでもあるので、何かの参考にはなるかもと思って書きます。

進路検討に始まる大学進学と就職への道筋

実は私は、高校・大学時代に、就活を避けるような行動をとりました。
就活以前の段階でつまづいたともいえます。

まず私の就職への考えの原点は高校時代の進路選択での思いです。

自分が営業マンになってバリバリ何かを売るなんてできるだろうか?
何か特殊な技能を持ち、社会で必要とされる人材になるだろうか?
自分には特別に優れた何かがあるとはあまり思えない。
何か、定かなものを手に入れないと・・・手ぶらでは勝負できない!
この先安心して生きていけないのではないか?
という漠然とした不安です。

そこで書店などで、就職などに関する本などを買ったりしました。
そこで私を惹き付けたのは、法律家への道でした。
社会のお役に立つ仕事なら、自分の存在意義も出てくるだろう
そう簡単になれるものではないのなら、逆に希少価値もあるだろう
安定した収入などの夢もあるだろう
根は真面目なところがあるし、国語とかも得意だから向いているのでは?
勉強して、努力すれば突破できるなら、努力もしやすい!
なんてことを当時は思いました。

実際のところ、世の中には、いろんな仕事があると思います。
運送業や一次産業、営業マン、サービス業、スーパーの店員など
それら、いろんな職業に対し、具体的なイメージが湧かず、
どんな仕事かもよくわからず、自分がそれらをできるのかもわからなかったのです。
わからない以上、憧れだって描けません。

ということで、
まず高校時代に、大学を選ぶ時から、法学部を志向しました。
経済学部や工学部、農学部、文学部、とか、学部を何となく選ぶのはイヤでしたし、
酪農家なら農学部
経営者なら経済学部
工場の技術者なら工学部
みたいな意味で
法律家なら法学部。
この流れは、社会のこと、仕事のことが一切分かっていない高校生の私には魅力的な進路選択に感じたのです。
筋道が見えると安心して進める、という感覚です。

就活せずに大学卒業?

ということで、札幌市内の法学部のある私大に合格し、入学しました。
大学入学当初から、法律関係の資格試験を目指し、専門学校に通いました。
図書館や専門学校、自宅などで毎日数時間試験勉強をしていたのです。
ただし、なかなか合格圏の実力には至らず・・・

大学3年生の春には、同級生たちが就活に動き出すなかで不安が募り、
私は公務員試験の講座などにも通いはじめました。
ただしそれは資格試験の厳しさからの逃げ道として・・・
でもそんな程度の勉強で公務員にはなれません。それは途中で諦めました。

大学4年の夏に行われた資格試験に落ち、
そこから私は、どうするか悩みました。
今更就活も難しい。
だから大学に研究生の名義で残るという道を選び、
資格試験を目指し続けることにしました。
そして大学卒業。

引き続き孤独な受験を続けました。また夏の資格試験に落ちたと分かった時、
私の心は折れました。
いつまで頑張れば合格するのか?
合格したとして、その先は大丈夫なのか?
合格するまでの生計はどうするのか?
バイトしてでも続けたとして、成績はあがるのか?

そして何より、もう試験勉強よりも、社会に出たい・・・
その思いでした。

求人誌と新聞の求人欄で就職先を探す

で、結局私は、大学卒業後、研究生をしていた夏、就職浪人(就活していないので就職浪人というのかは不明)中の9月頃、ハローワークに行くのではなく就職情報誌や、新聞の求人欄を見て、いくつか履歴書を送ったのです。つまり新卒採用ではなく、普通の求人というか。

たしか、宅建の資格を学生時代にとったせいか、不動産仲介会社に面接してもらい内定をすぐもらいました。同時に、札幌市内の建設・住宅関連の新聞社にも面接してもらい、採用されました。

不動産仲介の会社は、資格試験のついでにとった宅建が活かせそうだということと、若い会社で、頑張ればすぐにでも支店長とかになれて給料もあがるぞと言われたのが魅力でした。

建設・住宅の新聞社の方は、私は高校時代から国語が得意で、文章も苦にしないし、何よりも取材して書く、みたいな仕事が少しカッコいいような気もしたのです。

ということで新聞社の方を選び、これで私の就活は1カ月もかからずに終了しました。新卒大学生のように業界研究も、インターンシップも、企業説明会も、就職試験も何もしないうちに・・・

ここで皆さんに一言伝えたいことがあります。新卒を採用しようという企業で、大学、そして大学生の目にとまる企業というのは、毎年ある程度の新卒社員を採用する会社ばかりです。中小企業で数年に一人しか採用しないとか、経験者で欠員補充すれば十分な会社とか、縁故採用だけ、といった会社だと新卒採用の場面には出てきません。しかしそういう会社の中にも働きがいがある、自分に合っている、待遇も悪くない、といった会社もあります。大学の同級生みんなが目指すルートに乗って、皆と同じような企業にエントリーする。という方法しかないかのように思う必要はないと思うのです。

働く大変さ

で、その新聞社に入ると、その会社の仕組みや仕事のやり方を教わるわけです。
編集長と先輩編集者から・・・。
まず記事の書き方。過去記事の読み込み。
編集長に同行しイベント取材・撮影、経営者インタビュー。
会社にもどって写真選び。原稿作成。

それができるようになったら、
自分で専門工事業者やゼネコンや住宅会社を訪問し、記事ネタを探したり
業界の課題などを聞き出したりします。

それができるようになったら
特集記事を任されたり、出張したり、たまには新聞の購読料を集金したりと仕事の範囲が広がりました。

そんなこんなで5年が経ちました。
私に仕事を教えてくれていた先輩たちがほとんど会社をやめ、
その会社のおかしなところなども、一丁前に見えてくるようになります。
で私も5年目に退職しました。
仕事に決定的な不満があったわけではありません。
でもこの会社でさらに自分の展望が開けるかといえばそうではないかもと感じるようになったのです。

そこから、何と、昔やっていた試験勉強を再開しました。数年。
もういっかい、何か定かなものを手に入れたかったんだと思います。
でもダメ。バイトも熱心にやってしまったのもあります。

でその次、編集プロダクションに入社します。
前職で取材撮影記事書きなどをしていたので、その経験と、まだ20代だということが評価されたのでしょうか。すぐ採用されました。企業の広報紙や、内報紙。毎日新聞などのコラム欄担当など、編集の仕事だけで5年間。

月刊で18頁の内報紙を、企画編集取材撮影。これを私ともう一人の社員で編集し、クライアントと打合せをしながら進める仕事でした。取材は1号あたり5本くらいは行っていたと思います。北見や函館、釧路など道内各地への出張と記事書き、校正などを進めるのが私的にはめいっぱいでした。他の媒体なども担当になることもあり、当時の私にはギリギリの仕事でした。かなり残業も休日出勤もしました。毎月のように社員が辞めて行きました。でも当時の私には、編集、取材、撮影のスキルなどが伸びる、読者が多いなど、得られるものもたくさんありました。

ただしプライベートはボロボロだったと思います。自分の時間はほとんどなく、家族や恋人との時間もなく、何よりも心の余裕がありませんでした。責任ある立場にも立たせてもらったりという高揚感も若干ありましたが、お世話になっていた取引先の編集会社の社長が職場で倒れて無くなったという知らせを聞いたり、自分の母が病気だと分かった時に、深夜24時の取材が入っていて、親元に行くわけにはいかなかったり、彼女とのデート後に、あまりの睡魔で、帰る途中のコンビニ駐車場で寝てしまうといった日々で、心が折れたんだと思います。

とはいえ、仕事を辞めると収入、自分の存在意義、あらゆるものを失います。そこで仕事をしながら転職先を見つけ今の北海道住宅新聞社に入社したわけです。

会社に辞表を出し、翌日飛行機にのって、妹の住む倉敷に行きました。瀬戸内海のフェリーに乗って直島などを巡る間も、前職のことがたくさん頭をよぎりました。なんだったんだこの5年間は・・・という思いもありました。次の職場は大丈夫かという不安もありました。でも、瀬戸内海の景色が、そして一週間とはいえ、出勤しなくて良い日々が、ぐいぐいと私の気持ちをいやしてくれました。

主体的に働く面白さ

この段階で私は35歳でした。もはや大学生時代のように、自分に出来ることは何かあるのか不安になるような段階ではありません。取材撮影記事書き編集などのスキルがありました。住宅に関する取材も過去に経験ありました。

で新たな会社に入ると、新聞の編集や取材、撮影などは難なくできることがわかりました。さらに自分の存在意義を高めるには、営業を伸ばすのか、より価値ある記事を書くのか、という選択肢があった気がします。

ですが、私はこの段階で、この会社が発行していた住宅雑誌を廃刊して、webに乗り出すべきではと考えました。僭越ながら社内に向けていろいろ提案しました。

そして10年前に出来たのがこのサイトです 札幌良い住宅jp
自分で媒体を作る。家を建てたい人にダイレクトで、大事な情報を伝える。そしてそれ自体がビジネスにもなる。これを自分が軸になって組み立て、営業し、取材撮影し営業する、そこまでやりきったのはすごく納得できる仕事でした。この会社だからこそ、地元の工務店が信頼して、取材などに協力してくれたという面も大いにあったと思います。この会社の編集長も、なにがしか、打開策を探っていたからこそ、私の提案に耳を傾け、リスクを背負って経営判断ができたんだと思います。中身も私だけで作ったわけではありません。社内外のプロの力を借りています。手探りでした。もし転職せずフリーのライターとしてやっていたらこのサイトはできなかったと思います。

次に、自治体向けの大きな媒体の創刊に向けたコンペに参加しました。結婚前に大きな仕事をゲットしたいという思いもありましたし、当社は新聞発行が主なビジネスでしたが、創業以来のその仕事だけでいいのか?何か開拓すべきだろ、という思いもありました。

結果、コンペに勝ち、大きな仕事が始まりました。68頁立ての雑誌で年3回発行。全国各地の自治体などに取材に行く仕事がはじまりました。やりがいはありました。全国各地で少子化、高齢化、商店街衰退、などさまざまな課題と対策を取材させていただきました。元々、当社にこういうテーマの媒体を作れるベースはありませんでした。コレに関しては、かなり私個人の企画提案、取材編集の力が貢献した気もします。

委託期間は最大5年間と言われていましたので、その後は別の仕事をすることになるだろうと思ってはいました。ところが、5年経過後も、契約を延長していただき都合8年間もそのお仕事をさせていただきました。ありがたいことです。ただし激務ではあったので家族も心配しておりました。私自身もこれを10年以上続けられるという風には思えなくなっていました。

そこで2017年。このお仕事を卒業させていただきました。

この段階で43歳。経験がある程度あり、過去に大きな媒体も作り運営してきた経験もある。
紙媒体、web媒体の両方経験ある。
編集も営業もある程度できる。

でももう43歳。
最初の10年は学び、習い、試行錯誤
次の10年は編集者としてのスキルで自立できるレベルへの成長

じゃあ、この先20年は?どうする?
もちろんこれまでの経験を活かし、その上で、
自分の残された半分の職業人生で、
家族を養いつつ、
やりたい仕事をやれる環境を自ら作り、満足しながら仕事をしたい。
体力的には若い頃のような無茶はできないので、残業や休日出勤を前提とした編集スタイルはダメ。

そう考え、社内でまた提案、相談を重ね、上司や社内、外注ライターさんやカメラマンの協力も得て、2018年2月から
iezoom(いえズーム)という新サイトを立ち上げました。
同時に、住宅会社のウェブサイト制作も積極的に始めました。ありがたいことに現在では月1ペースで企業のウェブサイトを制作しています。

結論

自分がどんな仕事に向いているのか
自分はどうすれば社会に有用な存在になるのか

高校時代はあまりにも見えていませんでした。
就活もせず、大学卒業してから、新聞の求人欄を見てやむなく就職した先で
学んだ、取材編集のスキルが今、私を支えています。

1社目で取材記事書きしていた頃はそのことを学び
2社目で媒体編集の責任者になったりしたころにはそのことを学び
3社目では、これまでの経験をベースにしながら、そろそろ自分で考えて仕事をとりに行ったり、媒体を自ら作ったり。

就活しなくても何とかなりました。
資格試験に合格しなくても何とかなりました。
筋道が明確でなくても働き続けられました。

働いているうちにスキルが育ち
顧客ニーズと自分の存在意義が見えてきました

最初は習ってばかり。従ってばかり。
先のこともわかりませんでした。

でも今ではようやく、自分が企画し、自分の責任で、自分が目指したいことを仕事にしていく道が見えてきました。

結論的には、
大学3年で就活して、新卒で入社してもしなくても、
どんな会社に入っても、
結局自分を支えるのは、職場で身につけたりしたスキル。
それをその職場で発揮しにくければ転職しても良いし、いろんな道がある。

ただし、高校生の段階でそこまで見通すのは無理。

もし、中学生や高校生の段階で、オレ大工になりたい!とかそういう明確な道が見えているなら幸せ。
その道をまずは突っ走って、試して、学んで、ダメならその経験を元に周辺にはいろいろな仕事があります。

就職という第1歩目が万全でなくても全然大丈夫なので、

そんなに悩み苦しんだり、安全な道を意識しすぎたりせず、まずは、まあまあ良さげな職場に突っ込んでみると良いのでは無いかと思います。

長文失礼しました。

栗原
北海道・札幌の編集者・ライター栗原です。紙やwebなど様々な媒体で取材・撮影・記事を制作しています。栗原のプロフィール facebook  twitter  mail  札幌良い住宅jp

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