残業があたりまえの仕事について

   

30代前半の頃、ある媒体を編集していた私は、最終データを深夜に印刷会社に納品(校了)し、まるで布団に染みこんだかのように深く、深く眠り、翌朝出社。資料や机を片付け、次号のことは今日はいいだろう、と定時に帰りました。

すると、外が明るいのです。会社帰りのサラリーマンが歩いているのです。退社する人がたくさんいて、それが群れのように地下鉄駅に向かっていました。そんな光景は見たことがありませんでした。
いわゆるアフター5に外食したり、飲みに行ったり、映画を見たり、買い物したり、スポーツクラブに行ったり、家族と時間を過ごしたり、といったような選択肢がある、という世界に直面し、愕然としました。

定時に会社を出られるということは、もしかしたら16時位にはやることが無くなって、定時のチャイム?がなったら事務所を飛び出した人もいるんじゃないだろうかとか、いろんなことを想像し、意味なく街を歩きながら、退社するサラリーマンたちを眺めました。

定時退社が持つ驚きの可能性。そしてそんな時間を謳歌している人が世間にはいるんだというカルチャーショック。会社から帰ったら大慌てでメシ食って着替えて歯磨いて、30分でもテレビ見たりして俗世間を感じてから6時間睡眠確保が至上命題、じゃないの?。

その時期、確かに私はしんどかった。ギリギリだった。でも、営業しなくても仕事がある。明日、来月、来年の仕事確保に向けて考える必要が全く無い、自分なりの役割、存在意義があるということについて、張り合いというか満足感もあったのです。

そういう状態に社員を誘導した経営者はある意味見事。その時期、確かに私はいろんな仕事術を身につけ、30代後半、40代前半の私の編集力の基礎になりました。少々のしんどさは乗り越えられる耐久力のようなものも身につきました。

その会社を35歳にやめ、今の会社にお世話になりました。びっくりしました。私には凄くゆるく感じたのです。22時に誰も会社にいない。毎月面接して毎月誰かが辞表を出していない。会議が殺伐としていない。誰も職場で死にそうな顔をしていない。2年位はこの職場で私は体力回復しました。

その後、もの足りなかったんでしょうね。自らヘビーな仕事を取りに行って、つい先日まで、自らヘビーな仕事を自分に課し、残業があたりまえな元の仕事スタイルに戻っていました。

そして昨日のことです。私は18時30分に家に帰りました。家族は驚きました。娘は喜んでいろんな話をしてきます。ご飯を食べて、ダラッとして、テレビを見たけど面白くなくて消して、本を読み始めたもののそれも面白くなくて、なんと22時に就寝しました。パジャマに着替えようとすると娘が「パパ。仕事行くの?」と聞いてきました。

・・・。つまり私は残業をべースとした仕事のスタイルに慣れているというか中毒なんだと思います。そうしないと生き残れないという考えに支配されている気もします。今、新しい仕事も始まってはいるのですが、「仕事が足りない」という思いが強いのです。仕事が半年先までびっしり、であってほしいという思いです。

うっかりすると、どんな割に合わない仕事でも引き受けてしまいそうです。自分が怖い。

 - ライター・編集・ブロガー, 小ネタ